海が吠えた日 第10回「清流荘」座談会より 恐ろしかった大津波 七十代 女性

2010年2月9日

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 昭和二十一年十二月二十一日朝、南海地震が揺った時は、夫たちはスルメ漁に出ており留守で、私一人だった。地震の最中に、前のOのおばさんが「Tさん田圃へ逃げよう」と言ったので、一緒に川向かいの田圃へ逃げた。田圃には麦を播いてあったが、上にあがるとコンニャクの上を歩くようで、グニャグニャして全然歩けなかった。「どこかへ行こう」と言っていたら、Kのおばあさんが、川向かいの家から、「津波が来たら流されてしまうぞー」ととえてくれた。「竹やぶへ逃げよう」と言って家に帰り、真暗で手探りながら、仏さんの位牌と大事な物がはいっている引出しを、そのまま持って出かけた。
 隣のH宅の前を通ったら、「おばあさん、スケないんや、オイゴないんや」と言っているのが聞えた。子供がいたら枕元に、いつもスケとオイゴを置いとくのが必要と、その時思った。
 逃げる途中で、前のSのおばあさんは足が立たず動けないので、後からくる人たちに「みんな踏んで通ってくれ」と言った。
 Oさん宅の横からMさん宅の横の道を通り灘道へ出た。妙見さんへ上る道の段へ左足をあげたとき、右足の元に波がザブザブと押し寄せて来て濡れてしまった。
 妙見さんでは、どこまで津波が来るか分からんといって、裏山の開墾畠まで登ったが、道中で引出しの中の物を落としてしまい空っぽになったが、後で探しに行ったら山道にみんな転っており、よかったと胸をなでおろした。

地図

妙見さん

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