海が吠えた日 第6回「津波の思い出~二階で助かった」 八十代 女性

2010年1月12日

牟岐町、役場の東隣の空き地に押し込まれた船(徳島地方気象台)

 南海地震当時、夫Tは、SさんとOさんらと、鮪船に乗っていたので、二歳の娘、Eと二人だった。二階には、このころ東の会堂に出張して来ていた接骨院へ治療に来とった県南の女親子が泊っていた。
 大きな地震で恐ろしかったが、津波が来るとは思わず、そのまま家の中で待機していた。
 しばらくすると、ザアザアという音がして道路へ潮が来た。第一波だろう?まさか二階までも潮がくるとも思わなんだし、その時は家の外へは、もう逃げられなかったので、仕方なく親子で二階へ上った。県南の女親子と四人で恐怖に包まれていた。
 三回目の潮だったと思うが、Kさん宅と前の家(Mさん宅)が壊れて流れて来た。
 ドラム缶がたくさん流れてきて、一階がメチャメチャに壊れてしまった。 しばらくすると二階が後へ傾いて、生きた心地がしなかった。
 いつ流されるか、恐怖におびえながら潮が引くまでの時間の長かったこと、本当によい辛抱でした。
 夜が明けてから助けて戴き、近くの高台にある東の会堂に避難したがしばらくの間、足の震えが止まりませんでした。
 Iさん一家のほか、三家族と一緒に生活し、その後、灘のFさん宅でお世話になった。
 一階はメチャメチャに壊れて、何もかも流されたが、幸い二階は畳が濡れただけで、品物は濡れず助かってホッとしました。

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