海が吠えた日 第4回 「藁ぐろにつかまって」 七十代 女性

2009年12月29日

 藁ぐろ

 二十日の夜は、虫が知らしたのか生後二十五日の男の子が泣いて寝つかず、宵から抱いて立ったりすわったりして、寝ていなかった。朝方ウトウトしていたら大きな地震で目が覚めた。広島から復員していた夫はするめ釣に出ており留守で、母と子供三人で寝ていた。直ぐに戸を開けて外に出た。地震が揺っている間は前のKさん宅の横の観音寺川の土手で皆が立っていた。まだ潮は来とらなんだので母は先に上の子供二人を連れて、そのまま川の土手からM宅の裏を通って無事に灘道へ逃げた。

 私は男の子を抱いていたので一旦家に入った。真っ暗で子供を背負う「すけ」がわからんので箪笥を開け、何でもかんでも引き出して子供を背中に巻きつけ、お金が無くては困るので宵にMの兄にやんと分けたするめの販売代金を鷲掴みにして、袋に放り込んだ。そして逃げようとしたらもう外ではバリバリ、ゴウゴウという音がしてきた。「こりゃーしもたあ。おそうなった」と慌てて土手づたいにM宅の裏へと逃げたが、Oの兄の家の空地から波がざあざあと押し寄せて来て立往生してしもた。私は兄の家の横の竹垣につかまったが、二回目の波で道から川を越えて川向かいのMさんの田圃の隅へ投げつけられた。三回ぐらい潮を飲んだが度胸がすわった。浜の方へと流されたら死んでしまうが田圃の方へ流されたら助かると思い、潮を飲まんようにして灘の方に向かって流されていった。Sのばあやんや孫さんたち後から逃げて来た人たちは、川へ流されて死んだ人が多かった。「助けてくれー」という断末魔の叫び声は今だに耳に残って忘れられない。

 潮水を飲まんように頭をあげて流されとったらドラム缶が浮いて来たが掴まれない。壊れた家の柱が流れて来たがひっくり返って掴まれない。Hさんの田圃(現在のN宅裏付近の下側)辺りまで流されたら、田圃の岸に積んであった「藁ぐろ」に行き当たった。足が田圃につかえてつるつると滑りながら手で潮をかきもって「藁ぐろ」に掴まった。「藁ぐろ」が岸へあがつた時はよいが、潮が引き潮になったら藁が抜けてくる。あっちを持ちこっちを持ちして若宮神社の下位(現在の古牟岐道路四ツ辻付近)まで流されたら後が重たくなった。「誰ぜえ!おたいに掴まったんわー」「ばあやん助からんかいまあー」と男の子の声「ばあやんに掴まったら重みでばあやんも死ぬのって、早よう藁を掴まえ」と言うと軽うなったんで「あの子は藁を掴まえたんかいなあ、死ぬのは一緒やったのにあんなこというんやなかった」と思いながらごひつ坂の下まで流されていったら潮が引いていった。

 少し明るくなってきてじーっと見よったら、流されて来た家の下店の上に蛙が止まったように男の子がチョコンと座っていた。「おまあ助かったんけえ、また波が来るよってキョロキョロせんと早う逃げえー」と言うと一目散に道路に駆け上って行った。私は立って見たが田圃がずるずるして立てられず四つ這いに這うて岸へと辿り着いた。ようよう坂を這い上って灘道まで着いたけんど、子供を背負うとるし綿入れの着物づくめで濡れて重とうて歩けず、K牧場まで這い込んで行った。

 牧場のカド(表)ではいっぱい避難して来た人達がわいわい言よったが、その横をくぐって裏口ヘと廻った。裏口には誰もおらんので障子を開けて入ったら庭(土間)で先刻の男の子(O君)が震いよった。「おまあ助かったんけえ、早よう抜ぎー、つるつる裸で入りー、何じゃ着けとられんじょー」と言うて中を見ると、高い櫓に昔の木綿蒲団を高う積んであるんで私も裸になり、子供も服を脱がして抱きしめて一緒に入いっとった。七時ごろになるとおしっこがしとうなって辛抱ができず「誰ぞおらんのけー、何ぞ貸してくれー」とどなった。表の部屋でHさんの母親Sさんが救助されて、K先生が湯を沸かしてもって来たり火で暖めたりして、子供たちが「お母さん死ぬな!お母さん死ぬな!」皆がかかっていて誰もが気が付かない。大声で怒鳴っていたら誰かが乳牛に着せる物(つぶしまである布切)を放ってくれたので、それを着いて便所へ行って来た。臭くてもかまんとそれで子供を包んで暖めていた。

 しばらくすると夫が私たちがK牧場で助かっていると聞いて、見に来てくれたので嬉しかった。濡れた時は毛布でなくて肌着が欲しかった。夫が肌着を持って来てくれて、母子二人が着て火で暖まったりしたら子供も泣き出して助かった。K牧場では大勢避難して来ていた人たち皆に、牛乳を暖めて振舞ってくれた。皆嬉しかった。

 夜が明けて帰って見ると家は半壊で傾いて残っていた。Kさん宅まで流されて、隣のSさん宅、私宅、Yさん宅の三軒が残っていた。前のKさん宅が流されて、OさんとKさん宅が半壊で残っていた。夫は隣組長だったのでほとんど家にはおらず母と家を片づけた。私たちは灘のHさん宅で二晩泊めてもらい、それからはしばらくOの兄の家の二階で母は上の子供二人を連れて灘道の亀山神社の下の本家の納屋に分かれて生活した。

 地あげをしてから家を直して皆で暮せるようになった。しかし下の男の子は地あげの最中に風邪をひいて、つってつってして生後五か月で亡くなってかわいそうだった。欲を捨てて早く逃げたらよかったのに、お金が無かったら困る、子供が風邪をひいたら困ると家へ飛び込んだのが失敗で、慌てて折角持って逃げたつもりの紙札も、逃げる途中潮を待つ間に袋の中を覗いたら、紙札でなく蚊取線香を持って逃げていた。母は子供二人を連れて直ぐに疎開納屋に逃げて、火を焚いて無事助けてくれていた。
 

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