海が吠えた日 第53回 「九死に一生を得て」 七十代 女性

2011年8月16日

当時私は牟岐郵便局に勤めており、西浦女子青年団の役員をしていた。二十一日朝、連合会長のTさんと共に一番列車で徳島ヘバレーボールを購入に出市する予定で、五時前に起床し炊事場でお茶を沸かしておりました。

 

突然大きな地響きと共に大地震となり、立っていることもできないほど揺れました。あわてて竃の火を消し身仕度を整えたが、気が動転してしまい家の中にこもっておりました。

 

私は津波に対する知識など毛頭ありませんでした。外で誰かが大声で叫んでいるのに気が付き、西側の出口から五歳の妹の手を引いて戸外に飛び出しました。ところが暗くて充分見えませんが、西の前方から真白になって潮が押寄せてくるのが分かりました。

 

「アリャ」と思うも束の間にこの潮に呑まれてしまい、手を引いていた妹と共に屋内に押返されてしまいました。

 

私の家は西浦の浜では一番高い所にあり、水産加工をしておりました。多くのセイロがうず高く積まれており、そのセイロの間に足を挟まれ、妹と共に仮死状態となり、時のたつのも知りませんでした。

 

ましてや大きな津波が三波も来たことも……。ふと気が付くと誰かが私の体を揺さぶってくれておりました。その人たちのお蔭で姉妹が生きかえることができ、昌寿寺山まで運んでくれました。焚火で暖をとり、汚物を多量に吐きやっと正気に返りました。

 

後で知ったことですが家屋兼加工場でしたから、逃げるとき一階を全部開けたらしいのです。このため、階下にあった加工用道具類は全部と言ってよいほど流失してしまいました。家屋の倒壊は免がれ二階の物は流しませんでした。

 

弟もこの時流され、Kさん宅の角まで土桶に乗って流され、電柱にしがみつき難を免れました。

 

◆「海が吠えた日」は、牟岐町においてまとめられた「南海道地震津波の記録」です。

詳しくは、牟岐町ホームページをご覧ください。

 

【参考サイト】

牟岐町ホームページ

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昌寿寺山

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