海が吠えた日 第22回 「南海地震の思い出」 七十代 男性

2011年1月11日

私たち兄弟二人は、そのころ、若い衆宿の中の町のKさん宅の二階で泊まっていました。
 昭和二十一年十二月二十一日の早朝、大きな地震が起こり、すごく揺れました。
 恐ろしくて頭から布団をかぶっていました。浅海のYさんが浜へ潮を見に行き、まもなく「津波だ!」とどなって帰って来ました。私たちもすぐ近所の自宅へ帰りました。

 お爺さんより津波の時に持って逃げるように教えられていたとおり、停電しているのでローソクをつけ、位牌、宝物、そして米を持って海蔵寺へ逃げました。

石段の下でKさんが提灯を持って立っており、気をつけて石段を上るようにと指揮をしてくれたので助かりました。しかし石段は大勢の人でなかなか上へあがれず、私たちは腰までつかってしまいました。

でも無事けがもせず、海蔵寺まで上ることができました。
 夜が明けてから家に帰ってみましたが私の家は浸っておらず、ホッとしました。

 しかし私たちの家から百メートルも離れていないのにKさん宅は床上まで浸り相当傷んでいました、Kさん宅の横のあわえの入口に、東の町のおばあさんが流され、なくなっていて気の毒でした。

 津波の時は早く逃げることと、非常持出しは、いつも準備しておくことが肝心です。

地図

海蔵寺

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