海が吠えた日 第20回 「大津波―父に教えられて」 六十代 男性

2010年12月28日

私は当時十六歳、HのK中学校(現K高校)へ始発列車で通学していた。その日は二学期の終業式だった。家族は父母、妹二人で父はするめ釣りの漁から帰っていた。私はいつも午前四時半に起きていたので、もう目が覚めていた。

 

突然大きな地震が揺れ出した。まだ火は使っていなかったので、父は直ぐに入口の戸を開けた。皆が大黒柱につかまって収まるのを待ったが、随分長い間揺れたように思った。

父は「すぐに津波が来るぞー、家が流されてしまう、着物を着れるだけ着て、海蔵寺へ逃げよう」と言った。

 

地震が収まるのを待って、皆着れるだけの服を着た。私は位牌と掛蒲団一枚を持って先に飛び出した。海蔵寺へは近道がよいと思い、北側の観音寺川の方へ向かった。

 

しかし、十メートルぐらい行った川のそばの道路にはもう津波の第一波が来ており、すぐに膝までつかってしまった。慌てて家に引き返したら家の前にはまだ波が来ていない。

 

父に「川の方へ逃げる阿呆があるかー」と叱られた。妹二人を父母が一人ずつ背負い、父はお金と米の入った一斗缶を持って皆が南側の広い道路へ出た。近所の人は既に皆避難して誰もいなかった。

 

父を先頭に親子五人真暗な町筋を西へ走った。農協の辻を北へ東七間町を進み、すぐO酒店の横を左折又西へ七間町に出て、海蔵寺へ向かって走り続けた。途中いつ頭の上から津波が襲いかかって来るのかと心配しながら、ようやく海蔵寺の石段下までたどり着いた。

 

津波はまだここまで来ていない。しかし石段は避難して来た人でいっぱいで身動きでぎない。父は持って来た一斗缶をNさん宅の屋根にのせ、私も掛蒲団を道路脇に投げ捨てた。

手摺のなかった石段を父が先頭で縦に手をつないで必死に上った。ようやく海蔵寺まで上ったころに下で、「波が来たぞー」という声が聞えてきた。

 

焚火にあたりながら夜明けが待ちどおしくまた怖かった。東の空が明るくなってきた。下を見おろすと私の家の方はみんな流れずに屋根が見えてほっとした。しかし川より北側の坊小路はほとんど流れ、観音寺も流れてしまった。特によく遊びに行ったIさんの家が流れてしまい、何も残っていなかったのは気の毒だった。

 

波も収まって夜も明け、父と家に帰ってみたら床上一メートルぐらいまで波に浸って何もかもめちゃめちゃ、入口には大きな木臼がどんと座りごみの山で、その中に浜筋のKさんの表札が流れて来ていたのに驚いた。

 

秋にとった芋壼の中のさつま芋も全部流れてしまい畳の上には米の一斗缶が倒れて空っぽになっていた。父が持って逃げた一斗缶はとうきび粉だった。私は位牌を風呂敷で背負って逃げたが、慌ててすっぽ抜かして中には何も無かった。

 

家に帰ってみると畳の上に位牌がのっていた。背負った際に落ちたのが畳の上で浮き上って、流れずにそのまま残っていた。慌てた時はうろたえて失敗ばかりだった。

 

一週間ぐらい同倫のIさん宅の一部屋を借りて仮住い、父母は家の後片づけをした。その後長い間二階で生活し不自由な生活だったが、家や家財を流されてしまった人が多かったので辛抱できた。

 

そして何よりも怪我人がなく嬉しかった。

私たちは南海地震より前の戦時中、昭和十九年十二月七日の東南海地震、二十年一月十三日の三河地震の際にも潮が狂って、灘へ避難してFさん宅へ泊めてもらった。

 

父は釜石や宮古で三陸大津波の話を聞いて、常から津波の時の避難の道順を決めていたようだった。私も百年目にくる津波の話は中学校の地理の授業で習っていたが、いざ地震津波に遭遇したとき、うろたえてしまって逃げ道に失敗した。

 

もし父が戦争から帰っていなかったら、私たち母子だけではどうなっていたか思い出してもゾーッとした。津波の第一波に膝まで浸って父に叱られたことを思い出し、常日ごろから避難場所と道順について家族で話し合って、充分頭に入れておくことが必要と痛感している。

 

また五十年たった今、建築方式や生活様式も変った。しかも家の中は当時と違って、蛍光灯、ガラス戸、食器棚、書棚、テレビ、洋服タンスなど危険物でいっぱい、地震で倒れたり壊れたりする対策も考え、又プロパンガス、電気器具、石油ストーブなどの地震による火災の対策も考えなくてはならない。

 

漁港に係留してある漁船はFRP船になり、大型化し船数も何倍にも増加している。

避難路、避難場所についても、昔かけ上った崖は殆どコンクリートよう壁に変っている。どこへ避難するか常に考えておかねばならない。

 

津波十訓をよく読み、あらゆる対策をきめこまかくたてて、自分の身は自分で守る―鉄則を常に頭の中にいれておき、非常時に対処できるように備えておくべきである。

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海蔵寺

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