海が吠えた日 第51回 「身重で津波を体験」 八十代 女性

2011年8月2日

楠の浦公園最高潮位標設置作業
楠の浦公園最高潮位標設置作業

ゴーウとものすごい音と共にガタガタバリバリと大地震、立つこともできず右往左往する子供たちに服を着せることが精いっばいでした。

 

私はちょうど妊娠五か月の身でした。「母は強し」と言いますが私も揺れ止むと同時に、一番下の子供を引っ提げて屋外に飛び出した。ところが父ちゃんと長女、長男が出てこない。やかましく言うとゆっくりと出て来た。

 

「外は案外寒いなあ」と父ちゃんが言う。気をつけて見ると天窓が飛び散り青天井となっていた。あちこちの戸もはずれ、そこらじゅうに品物が所狭しと散乱している。私は逃げることに懸命、父ちゃんは案外のんびりしていた。

 

そのうちにタンガ(弁天組)の人が大八車を引いて早々と逃げていると思ったが、よく気をつけてみると大八車の音ではなく津波の浸入する音だった。

 

外を見ていた父ちゃんが急に「あの潮見てみい」と言う。見ると早、西の方から泡のごとく白い潮が飛んで来る。その早いこと、早いこと。何どころじゃない。私は二女をおいごも着ずにやっとのこと背負い。長女をおぶった父ちゃんが「この手にしっかりつかまっておれよ」と私の手を引いた。

 

ところが長男のKが見当たらない。「K、K」と呼んでも音も沙汰もない。もうこうなったら見捨てて逃げようと私が言うと、父ちゃんは動こうともしない。「隣のHのおじちゃんについてKは逃げたんと違う」と言うと「じゃあ………」と言って逃げ出した。潮はどんどんと来ている。

 

第一波はKさん宅前で引潮となり、父ちゃんが「どこへ逃げるんなあ」と言う。私は「上の家へ行こう」と、父ちゃんが「そりゃいかん。山へ逃げよう」と言うことで、八坂橋めがけて一目散に走った。

 

国道は人の群でなかなか進まない。八坂橋の下はもう白波が逆巻き、ゴウゴウと無気味な音を立てていた。橋を渡るとほっと一息ついた。よく見ると近所のTさん、Mさん、Hさんと共にKがいた。「お前どないして逃げたんなあ」と父ちゃんが聞くと、「皆逃げよったんでついて逃げた」と言う。

 

まあ何にしても一安心した。昌寿寺山の頂上では暖を取るため、一か所焚火が始まった。大谷の田圃の方では「助けて、助けて」と悲鳴が聞こえるが助けてやることもできず、ただ呆然と寒さを堪えることしか考えられなかった。

 

そのうちに東の空が明るんで来るし、津波も次第に小さくなり家の安否が気に掛りそろそろ帰り始めた。我が家に帰るまで数軒の家が国道に倒れていた。もぐったり乗り越えたりして、ようやく家に辿りつくも屋敷に家がない。隣のHさん、Kさん宅まで押し流され、全壊してしまっている。

 

家財はどこへ消えたのだろうか。常識で考えると瀬戸川の方向へ流れると考えたが、この津波は西側のタンガ(弁天組)の方向から、瀬戸川と東の浜筋方向に別れて潮が動いたことが、家屋や家財の流れた方向でよく分かった。

 

そのうちにHさんが「お宅のアルマイト製四升釜が家の前まで流れて来ていた」と持って来てくれ、「あの付近へ家財が流れて来ており、早う取りに来いよ」と伝えてくれた。また斗櫃に米を保存していたが、国道まで出て東側に流れHさん宅玄関まで流れ込んでいた。お蔭で家族に死傷者もなく本当にありがたかった。

 

◆「海が吠えた日」は、牟岐町においてまとめられた「南海道地震津波の記録」です。

詳しくは、牟岐町ホームページをご覧ください。

 

【参考サイト】

牟岐町ホームページ

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昌寿寺山

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