海が吠えた日 第46回 「南海道震災に遭遇して」 七十代 男性

2011年6月28日

昭和二十一年十二月二十一日、私宅は、現在のS菓子店の所に居住していました。
 玄関は西向きで、玄関前の道路幅は現在と同じですが、路の辻に木の電柱が立っておりました。激震で母親を抱きかかえるようにして外へ出たが、目の前の電柱が暴風時に竹が揺れるように左右にゆれ、今にも倒れそうで、その場にすくんでしまいました。

 揺れがおさまったころに、近隣のT回漕店(現在I食料品店)を経営していた今は亡きTさんが「津波や!」と大声で叫んだ。
その声が私の耳に入ってきたと同時に、大八車を引っばって走るようなガラガラと大きな音が南の浜の方より聞えてきました。びっくりして母親をしっかりと抱えて、昌寿寺山へ早足に避難しようとした。北側の四つ角に手押ポンプの井戸があった、M商店付近まできたとき、膝の部分まで潮が来ていました。

 北に向かって歩き、F鉄工所裏の橋(当時は木造で路面は土で低かった)を渡った時は、既に潮は橋の上まで来ており、ようやく昌寿寺山に辿りついた。

 余震を感じながらも東の空が明るくなってきた。たくさんの人たちが逃げて来てお互いに慰めあい、挨拶を交し、大きな地震だったと口々にそれぞれの状況ついて語っておりました。

 私は家が気になって山をおりました。自宅は床上浸水で家の中はごった返して足の踏み場もない状態になっていました。靴、その他の履物一切が流失し、襖の中間ぐらいまで潮が来たので浸水線がくっきりと浮ぼりになっていました。

 私は二~三日して山を降り私宅に帰りました。私はこの大震災により、自然はすべてを教えてくれたと思います。自然に教わりながら生活できることは幸せかも知れない、強く思うことは自主防災の再認識と、生活面での自立が必要であろうと思います。

◆「海が吠えた日」は、牟岐町においてまとめられた「南海道地震津波の記録」です。
 詳しくは、牟岐町ホームページをご覧ください。
 
【参考サイト】
牟岐町ホームページ

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昌寿寺山

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