海が吠えた日 第24回 「祖母をつれて逃げた」 六十代 男性

2011年1月25日

当時父は九州の五島列島の手繰網船に出稼ぎに行ぎ留守で、家には私たち兄弟三人と祖母の四人で、私は西隣のKさんのいか打ち漁にいっていたが、その晩は漁が休みで家で寝ていた。また家の前には低い土手があり、松の木があった。

 大きな地震のあと弟のCと二人で、津波がくるかもわからんぞーと、中突堤の西側の舟曵場まで潮を見にいったが、別に何の異状もなくそのまま家に帰った。しかし心配でいつでも避難できるように着がえていると、浜の方で「津波や!」と誰かがとえよった。
それで弟二人はすぐに布団をもって、先に七間町から海蔵寺へ逃げさせたので、足も濡らさずに逃げることができた。

私は位牌と貯金通帳を持って外に出たが、ばあさんが現金七三円持つのを忘れたというて暗がりの中で探していたので、待っている内に波がきて、あっという間に膝の上までつかってしもた。

 もう東側の七間町の方へは行けんので、西側のあわえを北へ向かって逃げたが、北へ二軒目の油津のS宅の前で材木が流れてきて動けんようになった。貯金通帳など持っていた物をみんな流してしまうて困ったが、しばらくすると潮が引いていった。

そのすきに海蔵寺へ逃げた。私たちは家族みんな怪我もなかった。
 夜が明けて津波の心配もなくなり家へ帰ってみると、床上四十六センチまで波に浸って中はめちゃめちゃ、そして家は東側へ傾いていた。

今でも障子の上側は柱との間が五センチ空いている。大黒柱には今でも津波の跡や、コールタールの跡がはっきりと残っている。父が留守のため家の下の浜にのぼしてあった船は、川長の新光渕の所まで流されていた。

地図

海蔵寺

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