吉野川下流域の高地蔵(たかじぞう)について

2016年1月14日

このページは、徳島文理中学校3年の森﨑陸斗さんと前田哲宏さんが、平成27年12月に「第23回地図作品展」で国土交通省国土地理院長賞を受賞した作品を掲載しています。

高地蔵の存在とともに、過去の洪水の歴史を学びましょう。

 

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洪水の時に地蔵が流されないようにと台座を高くした地蔵が高地蔵で,吉野川下流域などに多く建てられている。

僕たちは,高地蔵の建てられた場所に行き,大きさ・種類・年代・向きなどを調査・分析し,それらを地図にまとめた。
なお,台座の高さが1m以上または像を含めた高さ1.5m以上を高地蔵とした。

chousakuiki.jpg

 

■ 吉野川下流域における高地蔵の分布 (電子国土を基図にカシミールで作成)

bunnpuzugaiyou.jpg → 拡大地図bunpuzu.jpg(3.31MBytes)  

 

■ 高地蔵のつくられた時代

下のグラフのように,1740 ~ 80 年にピークがあって、1830 ~ 1860 年代に次のピークがある。

そこで、江戸時代後期として最初のピーク(宝暦年間)をまとめ、次のピークを江戸時代末期としてまとめた。

 

○吉野川下流域の高地蔵年代別造立数

 nendaibetu.jpg

 

○江戸時代後期の高地蔵

 edokouki.jpg

 

○江戸時代末期の高地蔵 

edomakki.jpg 

        (20 万分の1地形図「徳島」・高度図を基図に作成)

 

■ 道標としての用途

地蔵は、道祖神でもある。高地蔵の中で、道標として使われている例があった。

遍路道や德嶋などへの道を右・左,○○里などと書かれている。渡し場にも多く見られ、舟の目標ともなったようである。

mitisirubegaiyou.jpg  → 拡大地図mitishirube.jpg(1.39MBytes)

 

高地蔵は、大きな水害があった時に、慰霊のために集中的に造られていたことがわかった。

また,洪水だけでなく,遍路などの道標としての役割を持ったものや,渡し場に建てられて舟からの目印となったものがあることがわかった。

高地蔵を洪水の警鐘ととらえ,高地蔵の周辺では普段から備えておくことが大切である。


参考文献:

建設省徳島工事事務所『吉野川の語り部地蔵 高地蔵探訪ガイドブック』1988 年

吉野川渡し研究会『吉野川渡し場周辺の石造物ガイドブック』2016 年
石井町教育委員会『石井の庚申さん 地蔵さん』1998 年

橘禎男・坂本憲一「石造物から見た藍住町の地蔵信仰」『阿波学会紀要』第52 号2006 年
徳島県教育委員会『遍路道』徳島県歴史の道調査報告書第五集2001 年

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