海が吠えた日 第15回「コールタールにまみれて」 七十代 女性

2010年3月16日

牟岐町、街の裏手の津波通過のあと(徳島地方気象台)

 当時家には夫と長女H(一歳)がおり、父母と妹Sは灘道の納屋にいた。大ぎな地震だったが夫は外に出たら危ないと言って皆家の中にいた。地震に驚いて父母も妹も家に帰って来た。津波が来ることなど誰も知らなかった。
 地震が揺りやんでしばらくすると、浜筋のKさん(旧姓M)が「水が来た!」と大声で叫んで走っていったので驚いて前の路地に出てみたら、はやピチャピチャと膝まで波が来ていた。近所四軒、N、Y、W、私宅一家全員死ぬなら一緒と、Tさん宅の路地口防火水槽の蔭で固まっていたが、観音寺川の方からコールタールでどろどろの波が押し寄せて来て胸までつかって動けなくなった。父はSをつれ、母はHをおいごで背負っていたが、みんなばらばらになって西の方へ流されていった。私は泳げなかったが傍らで男の人が泳いでいるのでかきついたら夫だった。そこへちょうど舟が流れてぎたのでみんなでその舟に乗り、Oさん宅の前まで流されていった。Oさん宅の西角の塀にかき着いて、塀から庇屋根づたいに新宅の二階の部屋へ這いあがった。Eさん一家も一緒に新しい畳の上で、全身ずぶ濡れで冷たかったが夜が明けるまで辛抱し、潮が引いたので海蔵寺へ逃げた。おにぎり一個ずつもらったのが嬉しかった。
 路地四軒のうち、宵に川端の銭湯へ一緒にいったNさん母子がなくなり、かわいそうだった。Iさんは消防組で見廻りにきたAさんにOの前の溝で救けてもらった。四軒とも家は全部流されてしまった。私たち一家は新しい家が建つまで灘道の納屋で家族全員が生活した。

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海蔵寺

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