海が吠えた日 第12回「津波に母をなくして」 七十代 男性

2010年2月23日

漁港改修前の東舟曳場と観音寺川口

 昭和二十一年十二月二十日の夜は、星明かりの静かな夜であったように思います。当時私の家族は両親と妹弟三人の六人家族でした。静かな夜だったので皆よく眠っていました。突然何の前ぶれも無かったように思います。急にガタガタガタと大ぎな音がして眼がさめ、これは今までにない大きな地震やないかとあわてて立って歩こうとしましたが、上下に揺れて歩けないんで柱につかまって立っていました。四~五分で揺れが弱くなったので、母と一緒に家の裏がすぐ浜やったんで浜に出て、潮の引き具合を見たけんど、その時は別に変わった様子もなく五分か七分ぐらいで急いで家に帰ったら、妹や弟はもう逃げておらなんだようだった。
 寒いので上着を着るんと同時にMのTやんの声と思うが「津波が来るぞう!」と言いながら走って行く声を聞き、これはいかんと思い逃げるのに外へ出ようとしたら、もう潮が来ていて、見る間に腰胸と水に浸っていった。
 父と母は、その時はもう二階に上っていて、「もう逃げる間が無い。早よう二階にあがってこい」と呼ぶので、階段をあがると同時に階段が水に浮いてはずれたように思う(昔の家の階段は段梯子と言って取りはずしができた)。後で聞いた話やけんど、妹や弟は、後から潮に追いかけられながら海蔵寺に逃げていったとのこと、逃げるのが早かったら逃げられるような潮の早さやったのに、真暗がりで何んにも見えんがようよう手探りで窓のところまでゆく。もう家の中にいて家が倒れて来たら下敷きになると思い、母の手を持って先に屋根に出て、「早よう出てこい!」と言うて引張ると同時に、裏の方(浜の方)からドスンという大きな音とともにメリメリと柱の折れる物凄い音と同時に、家が前の方に倒れていき、しっかり握っていた母の手を離してしまい何かに押し付けられた。何かに挟まれたように身動きが出来ない、息をすると潮水をゴクンと飲んだので、これはいかん潮水を飲まないように手の平で鼻と口を塞いだら、今度は息が出来んようになって、からだが綿のようにフワフワとしたようになり、どこを見ても灰色か銀色のように見えて気を失っていった。
 それからどのくらい、時が経ったか知らんけんど、からだが冷ヤーとしたと思ったら気が付いた。父や母はどないしたんかいなァーと思い、這い出して外に出たが暗くて何も見えない。そのうち、全身ビショ濡れやから寒くて、いても立ってもおれない。でも父や母は家の下敷きになって濡れているんやから凍ってしまうんやないか、早よう捜さなんだらいかん!そのうち、うっすらとどうにか見えるようになってきた。倒れた自宅の窓の所にいたので「トトやん!」と呼んだらちょうどその下で「ここやー」と言う声がした。瓦をはいだら父がヒョカーと頭を出して来たので引張り出し「お母やんは?」と言ったら「この下で声がした」と言うので下へ潜っていったけんど暗くて何も見えんし、壁土や柱の下敷になっとるようで、手探りで壁土を取ったりしていると三度目ぐらいのゴウという込み潮でからだが潮につかってズブ濡れとなり寒くておれないんで、弟が持って逃げていた着物と着替えて戻って来たら、父が誰かに手伝ってもらって母を妙見さんに連れていってくれていました。母は長時間、水につかって濡れていたので凍死してしまったようでした。ただ手を当てると腹のあたりがかすかに温りがあったぐらいでした。
 こんな地震や津波が無かったら、まだまだ長生ぎできたと思います。
 あれから五十年、平穏な日々が続いていますが、いつか、また近い将来必ず起こるであろう災害に備えて、二度とあの悲惨な犠牲を繰り返さないよう心しなければと思い、子供や孫たちに時々話しております。

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妙見さん

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