海が吠えた日 第11回「清流荘」座談会より 子供たちに言い残したいこと 男性

2010年2月16日

牟岐町、津波来襲後の様子(徳島地方気象台)

 私は南海地震の当時、妻と子供五人で中の町に住んでおりました。大きな地震でした。
 地震と同時にすぐ頭の中に浮んで来たのは、津波がくるに違いない、逃げるのは海蔵寺しかない、「わしは家の片付けをして逃げるから、お前らは海蔵寺へ先に逃げよ!」といって、家族だけを先に逃がして家の中に入った。
 妻や子供たちは、あわえを北へあがって、K洋品店の所から西へ向かって走り、広い道を海蔵寺へと逃げた。早かったので全然ぬれずに逃げることができた。
 私は家の中に入って片付けを始めて三十分ぐらいもしてからと思うが、家の前をガラガラと音がしてドラム缶がたくさん流れて来た。早く逃げようと家の前に飛び出たが、腰まで波につかってしまった。あわえを北に向かい、H宅前から西へ走り、I酒店の前まで行ったら船が流れてきて危かった。七間町では太股ぐらいまで波が来ていた。
 北へ向かって波の高さは減っていった。海蔵寺の石段にはもう波が打かけていた、石段には逃げる人でいっばいだった。
 地震から四十分ぐらいたっていただろうか、海蔵寺で夜が明けるまでいた。明るくなってから家に帰ってみたら、家は残っていたが、半壊、潮位一七〇センチメートルぐらいまでつかっていた。
 流れてぎたドラム缶の口があいて、家の中は重油でドロドロになっていた。
 安政の津波の後でつくった土手が浜側にあったが、生活面でまがる(じゃまになる)ので取り除いてしまっていた。私も賛成した一員で反省している。
 子供たちに言い残したいことは「大きい地震の後には、必ず津波がくるので、早く逃げる」(平成八年四月二十六日なくなられた)。

地図

海蔵寺

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