海が吠えた日 第59回 「出羽島で南海津波を体験して」 七十代 女性 

2011年9月27日

ドドーンと海鳴りのような音を暁の眠りの中で感じた。ちょうど誰かが床下で揺すっているような上下動、大地震だと直感し起きようとしたが立ち上れない。そのうちに横揺れに変わり何分間揺れたか恐怖のあまり時間の感覚が無くなっていた。

 

やっと揺れがおさまり、家族の安否を確め合い斜めになった柱時計は四時二十分で止っていた。戦後の食糧難で天井から吊してあった干芋の篭が落ち、足の踏み場がなく、慌てて拾い集めた。

 

ラジオもなく全く情報が分からない。大地震の後には津波が来ると子供のころにお爺さんから聞いていたのが頭にあり、裏の堤防へ海を見に行く、まだその時は海辺は静かであった。

 

対岸の牟岐を見ると五剣山、胴切山に灯が点々としているので牟岐の人々は早、高い山へ逃げていると思ったが後で分かったことだが、これは炭焼窯が破裂して燃えていた灯であった。

 

二十一年の冬はスルメイカの大漁でカーバイトランプの集魚灯の漁火が美しく輝いていたのが印象に残っている。

 

堤防から家に帰るなり、消防団長のSさんが「津波がくるぞ!!早う逃げー」と大声で叫び島民に知らせて走り去った。妹たちに余所行きの服を着れるだけ着るようにとタンスから放り出した。

 

ご飯のオヒツを包んでいるうちに妹三人は外に飛び出し走って逃げた。父母と三人で外に出たらもう潮が下の道まで浸水し漁協のドラム缶がぶつかり合い無気味な音がしている。

 

押し寄せてくる浪頭が暗い中で白く光って見えた、誰かその潮の方へ歩いている。母と二人で引張ってくると、家族からはぐれ一人となった隣のお婆さんだった。

 

潮はもうそこまで来ており、山の方へは逃げられないので家の前の鎮守様(鎮守権現)の石垣に大きな椎の木があり、近所の逃げ遅れた人たち四~五人が根元に登り潮を引くのを待っていた。

 

Sのお婆さん(息子が消防団長で救助に出て家には年寄り、子供が残っていた)が孫を背負って避難中逃げ場を失い腰まで濡れ綿入れのネンネコが水浸しとなり石垣に引揚げるのにすごく重かった。

 

子供のころから遠方の地震で高潮程度の津波は経験していたが、押し寄せてくる津波には足がすくみ流れの早い中で膝坊主までつかると、とても歩けない、引潮時には多量の浮流物を運んで行く。

 

やがて東の空が白みかけたので再度堤防に上って見ると島の周囲の海岸は不思議なほど、水位が上っていない。

 

堤防を逃げた人たちは足も濡らさず山へ逃げれたのに、港の周囲の道を逃げた人々は濁流の中を泳ぎ、子供たちは家の格子に掴まって難を免れた人が大勢いた(そのころの家の表には格子のはいった家が多かった)。

 

出羽の港は巾着港で台風時には牟岐の漁船が避難してくる良港で、狭い入口からのこみ潮で港の水位は上昇し、引潮に漁船は投錨したまま外海へ流されたが、幸にも島の近くで発見され、遠く土佐沖まで流れたのも全部戻ってきた。

 

漁業者には船は生活の命、幸い大きい船が入港しておらず、もしも大きい船がいれば道路まで上り浅川のように家屋や港湾に多大な被害を与えたと思う。

 

すっかり夜も明けて流失物を除けながら妹たちの安否を気使い山へ捜しに登ると観永寺に大勢避難しており、寒さをしのぐため、お墓の花を寄せ集め焚火して暖をとっていた。

 

一年生の妹は寝巻一枚で寒さに震えていた近所の子供に自分のオーバーを貸してやっており、助け合う心が嬉しく感じられた。

地震直後、舟が安全だと舟に避難した者もあったが、消防団長に津波の報せで急きょ丘に上がり難を免れた者が何人かいた。

 

海を見ると、対岸の牟岐から浅川は地続きのごとく一面茶色と化し、家財や浮流物で埋めつくされ、歩いて渡れる程被害が大きくただ驚くばかり……

 

家に戻ってみると床下浸水で畳の裏が濡れている程度、台所の方は床上浸水で味噌も糞も一緒になり畳の上で小魚が逃げ場を失い、跳ねていたのが印象的だった。避難時に玄関の戸を開けたまま逃げたので、土間の物は何一つなく流れており、その後の履物に困った。

 

一番苦労したのは島に数か所ある共同井戸の水脈が狂い、細々しか出ない水を貯め、婦人会で順番を決め汲み水を分ち合っての生活を体験する。

 

出羽島ではお婆さん二人が犠牲となった。一人は山へ避難中、引潮に足をとられ港に落ち遠い大平洋に旅立ったまま今でも帰らず、もう一人は宵に牟岐へ渡り親類に泊っていて津波に逢い大牟岐田の田圃の中で死体で発見されている。

 

私は当時二十一歳。あれから五十年、高齢者となった今、約百年ごとに必ず来るという津波に対して、隣近所に声を掛け合い、港の周囲の道よりも堤防から高台へ避難するよう孫たちに語り聞かせておくことが私たち体験者の義務ではないかと思い、また使命ではないでしょうか。

 

◆「海が吠えた日」は、牟岐町においてまとめられた「南海道地震津波の記録」です。

詳しくは、牟岐町ホームページをご覧ください。

 

【参考サイト】

牟岐町ホームページ

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