海が吠えた日 第61回 「幼き日の南海震災津波の記憶」 六十代 女性

2011年10月11日

昭和二十一年十二月二十一日早朝、大ぎな地震で目がさめました。すぐ止むかと思って布団を被っていましたが、あまり長いので家族は皆外へ出たようでした。

 

外から祖父の「早よう出て来い」と言う声を聞いて起き上がりましたが、大きく揺れるランプが落ちないかと気になって外へ出ることができず、その場で必死で服を着ていました。地震が止んで家族が家に入って来た時は、全部服を着終わっていました。

 

父は「こんな大きな地震の後は必ず津波が来る。お前たちは向かえのおばあさんくへ先に逃げとれ」と言いながら、自分も身仕度をして漁協の方へ出て行きました(当時父は出羽島漁協に勤めており、消防団の役等もしていた)。

 

私は当時六年生、弟(四年生)、妹(一年生)と三人で学校のカバンを背負い、上から落下物があるといけないと父に言われ、小さな布団を四つ折りにして頭に乗せ、二人に離れないように両方から私の半纏の裾を持たせ、途中で転んだりもしましたが、小学校下にある祖母の家へ逃げました。

 

Iさんの角を曲ると漁師のおじさんたちが五、六名港へ船の様子を見に来ていました。その中の顔見知りのおじさんが「お前らどこへ行っきよんな」と言うので、「津波が来るや分からんけん、おばあさんくへ行つきよる」と言った記憶があります。

 

まだその時は港の中の様子も分かりませんでしたが、私たちが逃げるのが早かったので島の人たちの様子も分からず、漁師のおじさんたちに会っただけでした。

 

祖母の家に着いて囲炉裏で暖まり、やっと落着いたころに下の方が騒がしくなり、足を濡らした人や着物が濡れた人たちが学校への石段を上って来たので、津波が来たことを知りました。

 

明るくなって叔父が私たちの様子を見に来てくれました。家にいた家族は土間に潮が入って来たので、隣にある鎮守権現さんへ上ったそうです。全員無事だと言われ安心しましたが、私たちが家を出た後、しばらくして私たちの後を追って家を出たはずの母がいないのに気づき、大騒ぎになりました。

 

当時母は病気上りで体力が落ち、足も弱くなっていたので人並の速さで歩けなかったらしく、途中までいっしょに来ていた人たちは先に行ってしまい、後から休みながら来ているうち、港の南角のKさんの所から家の間の溝の中を流され、もう駄目だと思った時に目の前に小窓が見えたので夢中でつかまり、窓から中に入ったら足が着いたので、流されまいと必死でつかまっていたそうです。

 

波が引いて気がつくと、新町のOさん宅の台所の流し台の上、幸い近所の人たちが気付いて、当時山の中腹にあった診療所に連れて行ってくださっていたことが分かり安堵しました。

 

昼前になって家の様子を見に行こうと思って石段を下りて、約五十メートルぐらい行った所で道路がえぐり取られて、漁船が乗り上げていました。やっと通り抜けて逃げる時に転んだ所まで来ると、軒が全部落ちていました。出羽島では家の流失などはありませんでしたが、天井ぐらいまで波が来た所が何軒かあったようです。

 

洲鼻の方は津波の被害はなかったようでした。家に入ると土間は例えようもなく、汲み取り式トイレに海水が入り、スガケの芋壼の籾殻と大便がいっしょになって入りこみ、足の踏場もない有様でした。今思い出してもゾーッとします。私たち子供たちも後片けの手伝いで、何日も大変だったのを思い出します。

 

後日飲み水として利用していた小学校への石段の上り口にある池が、地質の変動か水を汲み出して大掃除をしてからなかなか水が貯まらず、時間制になったりして不自由な日が続きました。出羽島の家庭では、大部分の家に屋根から雨水を受けて貯めるタンク(防火用水を兼ねていた)があったので、海水の入らなかった所は、その水を洗い物に使用していました。

 

ドンセの浜には牟岐や浅川方面から家具の破片や衣類などが漂着していました。幸いにも私は波の恐怖がないので、後の島の様子だけしか思い出せません。これも父や祖父たちが、必ず津波が来るからと、私たち子供だけでも急いで避難させてくれたからだと思っています。

 

島の周囲からは津波は押寄せず、小さな港の入口から入って来たので、中で広がり勢力が弱められたそうです。今のように周りの堤防も高くなく、整備もされていなかったのに、子供心に外から波が来なかったのが不思議に思ったくらいでした。

 

津波の恐怖を体験した者には、地震のたびに少し大きいと津波が気になるらしく、主人は(家と母、叔母を無くし、自分も九死に一生を得た)私があまり地震に驚かないので「出羽と牟岐では地形が違うし、津波もあれ(昭和南海津波)が最大とは限らない」と言います。

 

昨年の阪神大震災など全国あちこちで地震があると、私たちの一生のうちにまたこちらにも地震や津波があるかも知れません。この文を書く機会にもう一度改めて津波について家族で考えてみようと思いました。

 

◆「海が吠えた日」は、牟岐町においてまとめられた「南海道地震津波の記録」です。

詳しくは、牟岐町ホームページをご覧ください。

 

【参考サイト】

牟岐町ホームページ

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