震潮記(第11回)-震潮日々荒増之記:嘉永七年十一月五日(1854.12.25)

2008年10月3日

嘉永(かえい)七年十一月五日震潮日々あらましの記(その五)

 

翌二十六日は曇天で、正午ごろより晴れた。昼夜小揺りが二度あった。
翌二十七日は天気よく、寒気がひどかった。正午に小揺り一度、午後六時ごろ、中長揺り一度、夜に入って小揺り二度合計六度であった。
翌二十八日は天気よし。だが寒気厳しく、昼小揺り二度、夜小揺り二度あった。
翌二十九日も天気よし。昼小揺り二度、夜中揺り一度、小揺り一度であった。
翌日の十二月一日は天気で、午前十時小揺り一度、午後一時ごろ小揺り一度、夜に入って小揺り二度あった。
翌二日は天気よく、小揺り二度、夜に入って小揺り続いて二度。
翌三日は天気で、小揺り二度、夜に入って中揺り一度であった。
翌四日は天気で、昼小揺り二度、夜に入って地震なし。
翌五日は天気で、朝小揺り続いて三度、夜三度あった。
翌六日は天気で、小揺り一度だけ。
翌七日は天気で、小揺り昼夜二度。
翌八日は天気で、昼小揺り一度、夜に入って小揺り二度、夜半ごろから小雨降る。
翌十日は天気で正午に中揺り一度、続いて小揺り二度。
翌十一日は天気で、この日一向に地震なし。
翌十二日は天気で、小揺り一度。
翌十三日は天気で、小揺り一度。
翌十四日は天気で、昼中揺り二度、夜半大揺り一度、同時刻より大雨で直ちに風に変わる。
翌十五日は曇りで、正午より小雨、昼夜小揺り四度。
翌十六日は朝は雪、正午より晴れる。昼夜小揺り三度。
翌十八日の明け方に小揺り、続いて三度、夜に入って小揺り一度、暮れ方に御郡代穂積茂兵衛様がお越しになる。
翌十九日は天気で、昼ごろより曇りで、昼夜小揺り三度。
翌二十日は曇りまたは晴れ、夜に入って大風、明け方になって止む。昼夜小揺り二度。
翌二十一日は天気で、午前八時続いて小揺り二度、夜に入って小揺り三度。
翌二十二日は天気で、夜半ごろより小雨降る。この日地震なし。
翌二十三日は天気で、午前八時ごろより小揺り一度、夜になり小揺り一度、夜八時ごろより曇。
翌二十四日は曇天で、昼小揺り一度。
翌二十五日は天気で、朝小揺り一度。
翌二十六日は天気で、朝小揺り二度。
翌二十七日は天気で、小揺り二度。
翌二十八日は天気で、小揺り一度、夜小揺り二度。
翌二十九日は天気で、昼夜小揺り三度。
翌三十日は天気で、皆は前日よりも津波がまたまた来ると言っていたところ、昼二時ごろ大揺り一度あり、人々は大いに騒ぎ、今にも津波が襲来するよう言い伝え、諸方へ逃げる者もあったが、夜半ごろまで何の変わりもなく、何といっても大晦日(おおみそか)のことであるから、おいおいに立ち戻り、少しは静かになって年明けを迎えた。

 

以上は旧十一月四日の地震から大三十日(大晦日)まで、日々の模様をあらまし書き記し、明けて安政二年(一八五五)正月上旬のころより二月下旬まで、一日に二度、あるいは三度、大揺りまたは小揺り、地震のない日はまれであった。

 

そのうちには、様々なことを言いふらし、何神のおみくじには、またまた何日には津波が来る、何日には大地震が起きるなど、不安な風説を唱え、何となく人の気分が騒々しく、一同恐れおののき、夜分は波の音、風の音にさえ心を配り、安心して寝たこともなかった。

 

また、壁落ち、屋根は雨漏りする所などへは板や苫を当て、雨風をしのいだ。自分の家でさえ腰が落ち着かない上、様々な風説に心を痛めた。

 

まこと大変事とは言いながら、このようにすさまじく変わるものか、わけても南町の西筋などは古い家が無数に軒を並べていたが、一時の災難に跡形もなく流失して、その無残な様子は言葉にならないほどであった。

 

三月上旬のころより四月下旬のころまでは、地震もおいおいに緩んで、1日に一度、または二度、あるいは五日に一度、十日に一度ぐらいになった。

 

四月二十七日、八日の両日とも、一日中地鳴りがして地震も小揺り三度ぐらい、五月の節句は小揺り三度であったが、三月上旬のころからはすべてが小揺りだけであった。


(田井晴代訳「震潮記」)

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