「南海地震を知る~徳島県の地震・津波碑~」(第33回)-旧熟田峠地蔵尊「供養塔」

2010年1月29日

旧熟田峠地蔵尊

第33回は、海部郡海陽町熟田峠旧山道にある「供養塔」を紹介します。

名称:供養塔

場所:海部郡海陽町熟田 熟田峠旧山道

建立:不詳

地震:安政南海地震(1854.12.24)

 

山を切り裂いた熟田の新道に沿って、草深い旧道に分け入った道端に、高さ50cm程の地蔵尊を刻した石塔があります。もともと、安政南海地震津波(1854.12.24)による大里村の被災状況を後世に伝えるため、人の目に触れやすい峠に供養塔を建てられていました。この側面には、「宝永地震(1707.10.28)より安政南海地震まで148年目。安政南海地震の前日の安政東海地震が起きた午前8時頃、潮が町中に溢れ込み、当日の午後4時に大地震とともに、約9mの津波が押し入った。住民は山へ逃げ登り、海辺の人家は流失、一面は荒野となった。」などと刻まれています。先人の意思を生かすためにも、石塔を人の目に触れる新道路脇などに移し、碑文を示すなどの措置も考えられます。

 

『教訓』

新道の開通により、誰も目につかない旧道に地蔵尊は埋もれています。犠牲者の供養と先人の意志を生かすことを考えなければなりません。

 

次回は、海陽町鞆浦の碑を紹介します。

地図

旧熟田峠地蔵尊「供養塔」

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