海が吠えた日 第47回 「夜釣で津波に遭う」 七十代 男性

2011年7月5日

出羽島
出羽島

 前日の夕刻「おーい沖へ行こうぜー」と向かう三軒両隣のE、F氏と共にいつものように沖へ出た。空は少々赤紫の夕日が西の山に入る。

 その夜は下り潮が早いが、目的のするめはおもしろいほどよく釣れた。場所は出羽下で、早目に切り上げて、二挺櫓で牟岐港目指して進んで来たが内妻沖へ流される。牟岐港入り口の赤灯台まで漕いで来た時である。五剣山付近の山頂がピカピカと光った。

「あれは何だろうか」と誰かが言う。その瞬間舟は櫓が外れんばかりの大震動。エンジンの始動時のような上下動に飛び上った。
「こりゃ大きな地震やなあ」とE君が言う。この間距離にして六百メートルぐらい、満徳寺下の内港まで来る。舟を岸に着けてバッテリーをおろすため足を岸壁におろしたが足が着かない。「あらァ」と海面を見る。海水はどす黒く泡がいっぱい浮いてきた。

 Mさんが隣舟から「津波じゃ」と知らせてくれた。「錨を入れて」とE君が言う。F君がぽかんと錨を投げ入れた。「こりゃ大変だ大津波じゃ」とE君が叫ぶ。しかし舟から離れることもできず、うす暗い港で待機していた。

 ゴウゴウと音をたてて潮がこんで来る。最大の潮は漁舎の庇まで来た。中河原や中の島、木屋の山で「助けて!!」とがぜん騒がしくなり、生き地獄と化して行く。しかし狂った潮の中でどうすることもできない。そのうち第一波の引潮となる。大敷網の曳船が港内では危険だと沖に出る準備をする。

 それじゃと錨を捨ててこの曳船について牟岐川に出る。引潮と曳船の力で一瞬のうちに一文字堤防を乗り越え小張まで流される。この速さにはさすがの漁師でも度肝を抜かれた。小張沖で第二回の錨を入れて待機する。

 港からは家、家具、材木など浮遊物がいっぱい流れて来て海面が見えない。次第に夜が明けて浜が見えだすと「こりゃ大変。家も家族も無いぞ」と不安が募り出す。もうやけくそだ!!男一匹になってしもうたと舟の艫に行き用を足した。

 その時無人の和舟が一隻流れて来た。E君が中磯の舟だ、拾うてやれ、ということでこの舟に私が乗り移る。次第に潮も小さくなったが港に入港できず西の浜へ舟を着け上陸した。

 浜筋では家、納屋、加工場などほとんど流失して見る影も無い。急いで我が家に向かう。家は健在で浸水もなく、前の道路まで潮が来た跡がはっきりとしている。家族の安否を気づかって昌寿寺山へ走る。病身の母も父も弟妹たちも元気で休んでおり一安心した。

 眼下の田圃では浮遊物が山のごとく押し寄せ、目を覆う有様で犠牲者も一名ありました。幸にも我が家には被害も僅少だったが、沖で舟の中から西浦の町を眺めつつ安否を気づかう心境は何にも例えよう無い心細さ、二度と思い出したくない。

◆「海が吠えた日」は、牟岐町においてまとめられた「南海道地震津波の記録」です。
 詳しくは、牟岐町ホームページをご覧ください。

【参考サイト】
牟岐町ホームページ

地図

牟岐港

お問い合わせ

防災人材育成センター
啓発担当
電話:088-683-2100
ファクシミリ:088-683-2002