海が吠えた日 第39回 「海が吠えた日」 (故)男性
2011年5月10日
長かった戦争も終わり、弟や近所の方々が戦場から復員してやっと我が家にも平和な生活が見え出したころで、この年はスルメイカが大漁で連日浜はにぎわっておりました。
昭和二十一年十二月二十一日早朝のことでした。大きな地鳴りと共に未だかつて経験したことのない大地震、電灯は消え真暗のなか、ふとんの中でおびえておりました。数分は揺れたでしょうか。
急に浜の方が騒しくなってきました。あら!!津波だと直感しました。私は急いで服を着用、靴を履き高台へ逃げました。逃げ遅れた人は死亡したり、恐ろしい目に遭いながら高台へ逃げて来ました。
昌寿寺山の上では暗くて下は見えませんが、あちらの谷間で、またこちらの田圃で「助けて助けて」と悲鳴が聞えましたがどうすることもできません。そのうちに声も跡絶えてしまいました。
しばらくして東の空が明るくなり、町並がうっすらと見えてきました。自宅の残った者、流失して跡形もない人などいろいろです。町の青年団の方々による炊き出しが始まり、空腹を免れながらも心配でした。
しばらくの間余震にもおびえました。浜辺に立って沖を眺めると流失した家財や木材・セイ・藁その他いろいろの浮流物で海水が見えません。時間が経つとともに次第に落着いてきました。しかし薄着のせいか寒くてなりません。近所の方に毛布を借り暖を取りました。
◆「海が吠えた日」は、牟岐町においてまとめられた「南海道地震津波の記録」です。
詳しくは、牟岐町ホームページをご覧ください。
【参考サイト】
牟岐町ホームページ
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昌寿寺山
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