海が吠えた日 第29回 「南海大震災に遭遇して」 六十代 女性

2011年3月1日

その日は、学期末テストのある日で、日ごろの不勉強のため、ツケ焼刃の単語の綴りを早朝の布団の中で目を通していた。その時グラグラとやって来たのです。電気はすぐ消えて真暗闇になりました。立ち上がりかけたけれど、身の危険を感じて布団の中にもぐり込みました。

 四人家族は全員二階で寝ていました。父は大揺れの中階下へよろめきながら降りていき、玄関の戸を開けたそうです。父は若いころ、関東大震災に遭っているのですぐ戸を開けないと……と思ったそうです。私は揺れがおさまってから外へ出ました。

体験したことのない大きい地震で、近所の家々からも興奮気味の人々が飛び出して来て、互いの無事を確認し合ったり、地震の様子を話合ったりした後、師走の早朝の冷気に耐え難く、またそれぞれ家へ入りました。

 それからどのくらい経った時でしょうか。どこからか、「津波」と言う声が聞えました。「まさか」と思う間もなく父が、「様子をみてくる」と飛び出して行きました。二、三分ぐらいして、いや一分ぐらいかも……。父が引返して来て、「どうも津波がくるらしい」と言いました。その時、「津波が来るぞ!」「津波やあ」と言う声が聞えてきました。

 私たち家族四人は、その声に追われるように、何も持たず着のみ着のまま逃げ出しました。現在のようにサイレンも鳴りません。放送設備もない時代でした。体験したことは無いけれど、津波が来るという恐怖心は大いに感じました。

 その時、小学校の国語で習った「稲村の火」の津波の物語を思い出していました。既に中の島から本町へ向かう通りは、逃げる人々が大勢走っています。そのころ小学校の東側には、港から通じている川が、H食堂と消防屯所との間にありました。

現在は暗渠になって駐車場になっていますが、当時は田圃に通じる水路でした。逃げる際に、その橋を渡りなが横目で川を、ちらっと見た途端、「ゾォー」として足がすくみそうになったことを、今も鮮明に覚えています。

 広重の絵でみる波の形、そのままの波が二重、三重にも、いや幾重にも重なってすごい勢で押寄せてきているのです。私の目には、不確かも分かりませんが、路より下三十センチメートルぐらいのあたりまで、波は来ていたようにみえました。

もう今にも波に追いつかれて、おいかぶさってくるような恐怖で必死で走りました。後で思ったのですが、広重は波の形もよく観察していると感心しました。幸い私たちは波に襲われることもなく、杉王神社へたどりつくことができました。
 境内は人々であふれていました。未だ視界は暗く夜明前で、人々の顔も定かに分かりませんでした。

どのくらい呆然としていたのか覚えていませんが、やがて夜が明けほの明るくなってきたころ、友達のHさんに会いました。彼女は全身濡れていました。彼女の話によると、「津波」がくるのが分かってから家の中の芋つぼに落ち、やっと這い上がってさあ逃げようとした時には、既に入口から潮が入って来たそうです。

でも未だ大丈夫だろうと、外へ出て五十メートルも行かないうちに水位はドンドン増して背丈ほどにもなり、流木やその他の大きいゴミや、家財に押し流されて、流木の上にかき上がりたくても、身体の自由をうばわれ、もう駄目か…と思った時に、見知らぬ人が引っばり上げてくれて、民家の二階に助けてもらい、九死に一生を得た……と言うのです。

震えながら話す彼女を言葉もなく、ただ黙って見つめていたような記憶しかありません。やがて境内のどこかで焚火がたかれ、廻りを囲んで暖を取っていました。
 どのくらい杉王神社にいたのか覚えていませんが、父が先に家を見に帰り、もう津波の心配もなくなったころ、私も帰ることにしました。

 Uの米屋さんのあたりまで来た時に、呆然としました。あの道幅一杯に材木・電柱・テンマ舟や、その他の家財道具等が積み重なっていて、まともに歩くことなどできませんでした。それ等の障害物をまたぎ、乗り越え、やっとの思いで家にたどり着くと、玄関の戸は既にもぎ取られ、家の裏まで見通しよく、座敷の真中には、たくさんの薪が我が物顔に座っています。

まだ大半の家庭は、マキや炭火を使う時代でした。
私の家の前は、広い空地で阪神方面に積み出すためのマキが、山から伐り出されて出荷待ちの状態で、いつも山のように積まれていたのです。我が家の位置は、現在のY建築事務所の所でした。押入れの襖や、壁には潮位の跡がくっきりとついていました。

はっきりとは忘れましたが、床上七〇~八〇センチメートルぐらいだったでしょうか、潮水につかった家財や、部屋の跡片付け、また流失物を探がす作業はたいへんでした。しかし現在ならもっとたいへんだろうと思います。なぜなら家財道具があの時代の比ではないからです。

地図

杉王神社

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