海が吠えた日 第25回 「南海津波を思い出して」 男性
2011年2月1日
海蔵寺の石段
南海地震当時、私の家は十人の大家族だった。大地震が揺っている間はみんな家の中にいた。地震が揺り終わってから、Oさん宅の街角あたりで、誰かが「津波がくるぞ!」と、とえてくれた。
避難場所は海蔵寺の方が近かったので、みんなで海蔵寺へと逃げた。早かったので全然足も濡れずに逃げることが出来た。海蔵寺へあがってから、古いお婆さんが二階へあがっていたのを忘れ、残して来たのに気付き、私がすぐに引返した。
七間町では足が濡れる程度だったが、祖母を背負って引返したときは、膝までつかった。
海蔵寺が避難者で一杯だったので、お婆さんたちは金比羅さんまで登った。
避難する時、玄関に落していった布団が庭で濡れていた。
裏の方は、あわえから潮が来て床下まで浸水していた。
当時、浜には網納屋は少なく、古い加工場(いり納屋)が多かった。
地図
海蔵寺
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