海が吠えた日 第18回 「痛恨の大津波」 七十代 男性

2010年12月14日
日の出橋と埋立前の観音寺川
日の出橋と埋立前の観音寺川

私はその時二十三歳、昭和二十一年八月ビルマより復員して来ていました。十二月二十一日午前四時二十分ごろであったと思います。母と妹二人弟一人の五人で父は仕事で留守でした。突然ゴーガタガタと物凄い音で目が覚めましたが、周囲は真暗で上下左右激しく動き、立っていることが出来ません。

 

大黒柱にしがみ付き揺れ止むのを待って、戸が開かないので突き破り、裏の川へ出ましたが誰もいませんでした。川の水も異状なく、隣のTさんが来て「大きな地震やったね」としばらく話をしたが人通りや呼び声もなく静かなので家の中へ戻りました。母はローソクを付けて位牌や貴重品を袋に入れ準備をしていました。

 

一番下の妹(十四歳)はいち早く玄関より叫びながら濡れることもなく逃げました。その時ゴウ・メリメリと真黒な大波が裏口より牙をむき出すような勢いで襲って来ました。母を二階へ上げ、妹(十八歳)は当時M小養護教員のしっかり者で落付いていたが「早く二階へ上れ」と叫び、上がりかけた寸前、流木に頭を強く打たれたようでした。階段もふっ飛ばされ、妹は潮にのまれてしまいました。

 

後で近所の床下でみつかりました。その顔は大変美しかったと人々から聞かされ、せめてもの慰めでした。最初の潮がもう庇まで来ていて夜光虫がギラギラと青白く輝き死者の霊のようでした。ぬるりと気持ちの悪い物を手でつかみゾーッとしましたが、それはするめでした。

 

ギシギシパリパリとこの世の物音でありません。家の門口へ積んであったクヌギが倒れ道を塞いで通ることが出来ません。私の家は潰され前の家へ倒れかかりました。濁水をかき分けながら弟(十一歳)の手を握り、首までつかって前の家の庇より屋根に押し上げました。

 

二回目の波は前より一層強く、体のどこかが流木で締め付けられ痛くて血が出ているようでした。

一瞬ビルマの白骨街道を連想しました。

 

ようやく隣の屋根に上り二階で夜明けを待ちましたが、急にゾクゾクしてきて戦時中のマラリヤの熱が出てきました。ビルマ戦線の思い出の数々の品物など全部流失してしまいました。隣近所の家々も全部壊れました。

 

浜筋に住んでいた子供とたまたまNより泊りに来ていた姉と子供計四人が遭難しました。運命とはいえ残念でたまりません。父が昔より言っていた津波の恐ろしさも南方ボケで守れず、ただ、後悔の念で一杯です。私以上のたくさんの犠牲者の方々もあり、ご冥福を心よりお祈りするばかりです。

 

戦争は話し合いで解決することもできるが、天災はどうすることもでぎない。結局はすぐ大声で叫びながら、消火して、高台へ逃げ出すことが一番であります。

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